【社長インタビュー】人材育成をテーマにした社長リレーインタビュー第2回大鰐町地域交流センター『鰐カム』指定管理者の相馬康穫さんです
今回のインタビューは、大鰐町の地域活性化に取り組まれている相馬康穫さんです
相馬さんは1965年大鰐町生まれ
現在は大鰐町地域交流センター『鰐カム』指定管理者であり
プロジェクトおおわに事業協同組合 副理事長でもあります.
『鰐カム』には、日帰り温泉鰐の湯/大鰐特産品・売店&産直コーナー/お食事処/
ファストフードコーナー/塩の部屋/エステ・整体コーナー/多目的ホール/
観光情報コーナー/研修室/ITルームなどがあり
連日、地元の方や観光客の皆さんで賑わっています
相馬さんは、この運営の他にも家業の、そうま屋米酒店社長
社会福祉法人阿闍羅会理事
『青森立志挑戦塾』研修講師
秋田県横手市役所職員研修講師
西目屋村(財)白神公社職員研修講師
日本女子大学人間社会部教育学科特別講師 なども務め、幅広い活躍をなさっています
相馬さんは、リゾート開発に失敗し経営破綻をした大鰐町を何とか元気にしたい
子どもの頃、観光客の下駄の音で眠れなかったほど栄えていたあの頃の町に再生したい
そのような想いから、『鰐カム』を中心に、町のブランド化、人との繋がり、
産直の流通など、いろいろと試行錯誤しながら進まれてきました
今日は相馬さんの『周りの人を幸せに笑顔にしていく力』に焦点を当ててお話を伺いました
鰐カムをやり始めた経緯を教えていただけますか
今から25年ほど前、大鰐町はリゾート開発に失敗し経営破綻
『第二の夕張』と言われていました
そのイメージを取り払いたい!大鰐町を元気にしたい!
その思いから、平成19年10月4日に地域おこしのボランティア団体
『OH!!鰐 元気隊』を設立しました。発起人メンバーは16名
当時、町役場が運営をしていた町営施設がありまして
最初は好調だったものの徐々に赤字が増えはじめました
そして5年目の平成20年に『町の直営施設の指定管理者』の募集を始めたのです
それを見て私は思ったんですよね
「やるのは我々だろう」と
その日からメンバーと毎晩会議をしました
『OH!!鰐 元気隊』はボランティア団体です
でも今回は、出資や経営責任も伴います。
家族の生活もあります。
自分一人では決められません。
メンバーは案件を持ち帰り
それぞれ家族会議を開いて決めようということになりました
「今日家族会議を開くから早く帰ってくるように」と3人の子ども達に伝えたら
当時、小1の末っ子から
「お父さんついに離婚するんですか?」と聞かれました(笑)
今でこそ笑い話ですが、多分、毎日議論している妻と私を見ていてそう感じたのでしょう。
「いや、そうじゃなくてお父さんは、鰐カムを経営するかしないかを
相談する会議をしたいんだよ」と話したら
引き続き末っ子が
「どうせやるんでしょ!もう、決めているんでしょ」と。
会議は5分で終了しました(笑)
結果、16人のうち9人が出資。そのうち5名が経営陣になりました
4名の出資者、5名の経営陣で鰐カムの経営がスタートしたのです。
平成21年2月に決まり、4月から2か月間の引継ぎ期間を経て
6月に我々の経営がスタートしました。
町が経営していた時の赤字3000万円を抱え、指定管理料ゼロ円でのスタートでした
出資金330万円と引継ぎの2か月間、経営陣5人で町の一軒一軒を廻って
手売りをした入浴券の売上840万円が当面の運転資金でした
施設のスタッフの育成や教育などはどのようにされていたのですか?
家業の酒屋の納品で以前の施設には行く回数も多かったんです
だから問題点は何となく気づいていました
とにかく早く黒字化していかないといけない。時間がない。
そのためにまず最初に何をしたかというと
社員のスキルアップでした
それまでは「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」に心がこもっていなかった。
これをまずは早急に改善しなければならないと思いました
同時にスタッフ一人一人と面談し、皆さんに
「当面は給料10%カット、黒字になったら還元します。
それでよければ継続してください」と話しました。
皆さん、全員継続してくれました
その後、私の知り合いの大手百貨店さんのカリスマ店員の方に来ていただいて
マンツーマンで接客を学ぶ研修など、教育を徹底しました
中には「何でそこまでするの?」と反発するスタッフもいました。
でもそんなのを気にしていたら経営が終わってしまいます。
改革は1年くらいかかるかなと思っていましたが
半年くらいでスタッフのやる気がどんどん変わってきました
そして10か月後、奇跡の黒字決算を出すことが出来たのです
黒字になるには、売上前年対比130%行かないとそれを達成できないと言われていました
コンサルタントの先生にも
「1年後はムリ、3年後に黒字に持って行きましょう」と言われましたが
いえいえ、それでは会社がもちません(笑)
もう死に物狂いでした。
どうやって1年で黒字化ができたのですか?
私達の強みは、人との繋がり、そして営業力です
黒字化にするために、1年目は物販に力を入れました
まずは産直を増やしていこうと思ったのです
産直コーナーにあるリンゴ箱を使った棚
私は地元の農家さん100軒に声を掛け、集まってもらいました
平成21年6月、オープンして3週間くらいたった頃でしたでしょうか
私は次のように言いました
「A品は農協さんに、
折れたり形が悪いB品、C品を、重さをそろえたりキレイに包装し、
鰐カムに卸してくれませんか」
反応はどうだったのですか?
もう、大反発です。
「口ではいいことを言っているが、手間をかけても売れ残ったらどうする」と。
結局100軒のうち40軒の農家さんが賛同してくれましたが
その40軒も全員が諸手を上げて賛成というわけではありませんでした
でも私には自信があったのです
というのも、先ほど家業は酒屋だといいましたが
私が31歳の時に先代の父が倒れ、跡を継ぎました
継ぐ時に私は思ったのです
『これからは生き残る商売ではなく勝ち残る商売をしなくては!
他にない酒屋になってやろう』と。
まずは、地ビールの開発をして売りだしました。
その次は問屋さんに流通していない地酒を集め、店舗や飲食店など、
色々なところに出荷し始めたのです。
今では酒屋の売り上げの1/3が県外への出荷です
うちの酒屋は、道路沿いでもなく、小さい路地の突き当りのところにあります
缶ビールも安売りしない
安売りのパック酒もない
大手ブランドのお酒もない
地域の方は「あの店は、何故つぶれないのか?」と不思議がっています(笑)
といい話をしていますが、酒屋はほとんど妻が経営しています(笑)
私は店番をしても何も用が足りません
たばこの値段もわからない
お客様に「これいくらだっけ?」と聞くかんじです(笑)
だから、妻には「店番はいいからあなたは営業してきて」と言われています(笑)
というわけで、地ビールを開発し、首都圏に自分の販路を持っていたからこそ
ある程度売れる自信があったのです
私の思惑通り、野菜は、翌月から鰐カムの産直コーナーと、
首都圏への営業で売れるようになりました
少しずつその情報が口コミで広がりはじめ、契約農家さんも徐々に増えていきました。
今では当初の目標の100軒の契約農家さんが『鰐カム産直の会』を組織しています
売り上げは月末に振り込みますが、スーパーのレジの方がすぐにわかるそうです
鰐カム産直の会の方が、その日は霜降り肉やマグロの大トロなどを買っていく。
商工会議所の方からも、あそこは屋根を直している、車を買った、ウォシュレットにした。
などと話しているのを耳にします。
それこそコミュニティービジネスなんです
町内で新しいお金が増えていく。
それにより、地域全体が潤っていく。
皆でWINWINになっていくのです
大鰐は温泉もやし、野菜、リンゴなど有名ですよね
6年前からJR東日本商事様とも販売契約を結んでいて
上野・秋葉原・千葉などの駅で産直販売もさせていただいております
我々が行くと他と比べても平均売上の2倍以上を売るので
今ではありがたいことに、先方から
「次はいつ来てくださいますか?」と言われるようになりました
平均の2倍売るその秘訣は何ですか?
当たり前のことを当たり前にしているだけなんです
営業時間前に売り場をキレイにして、きちんと準備して
『わいはTシャツ』を着て営業する。
『わいは』は津軽弁で『びっくり』のことです
このTシャツに描いてある『もやし』は実物大です。
大鰐温泉もやしと『わいはTシャツ』
この大鰐温泉もやしを筆頭に高原野菜。高原リンゴを販売しています
最初は大鰐(おおわに)を
「これ何て読むの?」と聞く方が多かったのですが
今では皆さんに浸透してきて、町名がブランド化してきました。
10年前は説明なしでは売れなかった『大鰐温泉もやし』も
今ではどこの売り場でも即完売です
その他にブランド化するための工夫は何かされたのですか?
ライターさんとのご縁を大切にしています
フードジャーナリストの向笠千恵子さんとの出会いも大きかったですね
向笠さんがいろいろなメディアに大鰐温泉もやしを紹介してくださっており
『dancyu』とか『食楽』にも載せていただきました
それをきっかけに、料理人、テレビ局、雑誌などからの問い合わせもたくさん
来るようになりました
千原ジュニアさんやサンドイッチマンさんも、
大鰐温泉もやしを紹介してくださっています
ジュニアさんは大変気に入ってくださって、
ホームパーティを開く時にも大鰐温泉もやしを取り寄せてお友達に紹介してくださいます
テレビやラジオでも紹介してくれています
サンドイッチマンさんも自身の番組で取り上げてくださったり
この前はラジオ番組にも呼んでいただきました
10年が過ぎ、今の社員教育はどのようになさっていますか?
最初と全然かわっていません
ブレず!あきらめず!です。
毎日の朝礼。
これはシフトごとに朝、夕、夜の一日3回を365日欠かしたことがありません。
個人面談もします。
最初にアンケートを書いてもらい、それを参考に話を聴いています。
個々の悩みであるとか、スタッフ間の悩みなどを相談された時は
その都度対処しています。
月に1回第3木曜日が休館日なのですが、
年に数回、スタッフ全員でのスキルアップ研修を実施しています。
その他にも、東京で販売体験をしたり、県内外の研修会などにも参加しています。
大手百貨店さんに赴き、研修の講師として来てくださった
カリスマ店員さんの実際に働く姿を見て勉強したりなど、
社員のスキルアップになる機会をたくさん設けています。
先ほど見せていただいた資料の中に『いらっしゃいませ』は
禁止とありましたが
9年前、私が参加した勉強会で講師の先生がおっしゃっていたのです。
その先生のお店でも〚いらっしゃいませ』を辞めたそうです
私が「なぜやめたのですか?」とお聞きしたところ、次のような答えが返ってきました
「日本人の耳に『いらっしゃいませ』が馴染みすぎてお客様は何も反応しないんですよ。
そこで私は、思い切って『いらっしゃいませ』をやめてみたのです
そうしたら反応がいい。
お客様からも『接客がよくなったね』という声が聞かれるようになってきたのです
相馬さんも、もしよかったら一定期間試してみればいいと思いますよ」
帰ってきて私は、すぐに実行に移しました
『いらっしゃいませ』を禁止して、そのかわりに、『おはようございます』
『こんにちは』と言うことにしたのです
そうしたら・・『接客がよくなった』という声が聞かれるようになったのです
スタッフからも『お客様が挨拶を返してくれる』『話しかけやすくなった』と
いう感想がでました
そこから、鰐カムでは『いらっしゃいませ』を言うことがなくなったのです
相馬さんは子ども達への働きかけもなさっていると伺いましたが?
大鰐小学校の子ども達と『OH!!鰐 元気隊キッズ活動』を11年前から継続しています。
それまで大鰐町の大人たちの口癖は
「この町は借金でもうダメな街だから勉強して、東京や大阪でがんばりなさい」でした
このままだと子ども達は絶対、ふるさとに誇りを持たず巣立ってしまう
大鰐は廃墟の町になってしまう
その危機感から始めたのです。
具体的な活動を教えてください
校長先生、教頭先生から許可を得て、
大鰐小学校の5年生6年生は2年間『OH!!鰐 元気隊キッズ』として
活動してもらっています
毎月、町内の観光名所や駅周辺の清掃活動をします
その時、掃除しながらの大人の元気隊員との会話が大切なのです
元気隊員には、キッズ隊員達に『町のネガティブな話は一切しないで』と話しています
例えは、大鰐温泉もやしは、これから世界に発信していくんだよとか
大鰐温泉は800年前から湧き出ていてお殿様も入りにきたんだよ
などなど
大鰐の良いところ、良い話、これからの展望だけを話していくのです
子ども達は野菜も作っています
それは、単なる学校菜園ではなく、ビジネスとしてです。
春には野菜ソムリエの方や、種苗会社社長さんを先生に迎え
今年東京で流行する野菜を聞き、それを植えています。
夏は私が、農業と流通の話を授業でさせて頂きます
子ども達の作った野菜が
これからどういう流れで販売され、
どういう経路で消費者にいくかを説明しています。
例えば大鰐→東京問屋→運送業者→東京のお店→消費者だとすると
100円で売っても100円が手元に入るわけではない
問屋さんに20円、運送業者に20円、お店に20円、
100円で売る野菜は、私たちの手元に40円しか入りません。
子ども達の家で作っている野菜や果物もそうです。
だから1万円で売れてすごいなと思っても
実際に家には4000円しか入っていないんだよと、そういうことも学んでいきます
野菜を売るためには、接客マナーだったり、言葉遣いも学ばなければいけません
子ども達は名刺を作り、名刺交換の正しい仕方も覚えます。
そして、毎年10月、第一土曜日と日曜日の2日間、
東京のアンテナショップで販売体験をしていろいろな方と触れ合っています
一人前の営業マンです
そして、この企画のメインは夜です
キッズ隊員達は、東京の著名人の方とお食事会をするのです
大人→子ども→大人→子どもの席順で座ります
メンバーは大東文化大学の副学長やフードジャーナリスト、国土交通省の方
外国車販売代理店の副社長などなど
実は大人の方は全員私の友人です
前もって、キッズ隊員にポジティブな話だけをしてくれと打ち合わせています
キッズ隊員達はすごい大人の人たちと名刺交換をして、大鰐についての会話をします
場所はモスバーガーの直営レストラン『あえん』を毎年使わせていただいています
取引のご縁から、キッズ隊員達の取り組みを社長に話したら
「毎年ここでやりなさい」と言ってくださいました。
子ども達はたくさんの名刺と、お土産話を持って帰ります。
そして、家の方に次のように話してくれるそうです
『大鰐は借金でダメな街だというのは間違っていませんか?』と。
子ども達の言葉に、親ははっとします
『なんで今まで子ども達にダメな町と言ってきたんだろう』と気づく。
家族みんなの意識改革です
11年間続けることによって町が少しずつ元気になっています
もちろん課題もいろいろあります
大鰐温泉もやしの生産者育成や
町にある、宿やお店などの後継者問題など、尽きることはありません
私達の夢は、わが町大鰐を民間主導のまちづくりで、
もちろん行政や各団体とも連携して再生させ
同じ悩みを持つ全国の市町村へ飛び火させ、点が線となり
地方都市や田舎町が次々元気を取り戻すことです。
最後に座右の銘をお聞かせください
『一生勉強、一生青春』です
相田みつをさんの言葉ですが、私はこの作品が大好きで
相田さんの息子さんから許可を得て
相馬家の墓石にもこの言葉を刻ませていただいています